「結構なお手前で」
「気に入ったか。それは良かった」
口元だけで僅かに微笑う彼女を視界の端に捉えて、またすぐ湯呑みに目を落とした。
「先日の約束だが、良い茶が入ったので明日の放課後にでもどうだ」
と誘われたのが昨日。
体育用具室で剛速球をぶつけられたのがその数日前。いや、ぶつけられたって言うには凄く柔らかで気持ちy
いや違う違う。
朝焼けの丘で彼女と別れて大して日も経っていないというのに、俺は浮気者の素質があるのだろうか。
――――――愛していた。それは変わらない真実。
どこまでも真直で深く澄んだその瞳に操を立てる、とか考えていたわけではないが、確かに俺の心を強く支えて立つ一振りの剣。
今は現界しない、無限のホロゥ。
当分の間は、彼女が居ない現実と心の折り合いがつけられないだろうな、と思っていた。
ところがどーだ。
全てが終って登校してみりゃ氷室に唇を奪われ告白されて、ドギマギして暮らす日々ってのはいったいどうなのさ。
おまけに「お茶しよう」とかいわれてホイホイついて行くのも我ながらどうかと。
いや、といっても部室だけど。
高級宇治茶くらいで、なぁ?
「お茶請けは未精製の和三盆だ。雑味もあるらしいが自然で良い風味だぞ」
とか言われて調理用にはどうだろうとか気になっても、ねぇ?
と言いながらもう既に一杯ご馳走になっているんだが。
「…………でも、うまい」
和三盆をぽり、とかじる。
これは今度煮物の味付けに使えそうだし久々に弟子を唸らせることが出来るなぁとか考えてる俺って色々駄目なんでしょうか。
「たまには千菓子の代りにこういうのも好いものだな。ところで衛宮、もう一つ茶があるのでそれも飲んでみないか?」
「?あ、ああ」
部屋の隅では薬缶がシュンシュン沸いているのを氷室が急須へ注ぐ。
「熱いうちに、多くの湯で出す方が旨いらしいのでな」
独り言のようにそう呟くと、湯飲み―――――?のほうにも熱湯を注いでいく。
どうやら紅茶流に温めておくらしい。
ぼーっとその所作を見ながら、ふと思ったことを口にした。
なんだ、あれ。
「変わった湯のみだな」
「ああ。茶器というようなものではないが、なかなか面白い造形をしていたのでな」
鈍い色―――ステンレス?
マグカップに近い大きさで、形は卵型で小さな耳付き。底が丸くて、木製の台がついていて立てられるようになっている。
言うなら、下半身だけのハンプティ・ダンプティ。
こんなのが氷室のストライクゾーンなのか。なんとなくこういう前衛芸術的なものが彼女には似合うような気がする。
湯呑み(?)が温まると流しにお湯を捨て、茶を注いでいく。
こぽこぽこぽ。
「ん。入ったぞ衛宮」
氷室がお茶を渡してくれる。
「あ、有り難う」
極自然にお茶を差し出され、お茶を受け取る。
なんか、微妙な違和感。
……………なんか、ちょっと多い。お茶は結構縁ギリギリまで注がれている。
それに、さっきはお茶は手渡されな、かった、のに。
微妙に噛み合わないものを抑えて、一口頂いた。熱いので、少ししか飲めない。
「………………えっと…」
正直、さっきの茶の方が旨い。これはなんつーか、職員室とかに置いてありそうなフツーのお茶。
「あまり旨くないか?」
「あー………その、まぁ。さっきのやつの方が、俺は好きかな?」
表情を読み取られたらしい。今更取り繕うのもアレなので、俺なりにオブラートに
包んで言ってみた。
「まあそうだろう。二束三文のなんということもない茶だからな」
「え?」
なんで、そこで氷室はそんな――――――にやり、という表情で笑うんだ?
「ところで衛宮。非力な女が力の強い男を拘束するにはどうすればいいと思う?」
「……突然、何を」
、言っているんだ?
「これはやはり何らかの罠にかける他ないと私は思う」
「……………だから、なんだって言」
それになんで、氷室は立ち上がって、俺の背後に回ろうとしているのか。
「まあ頭で解かってもらう必要は無い。今、自分が拘束されている事実をまず知ってもらい、」
あ。
瞬時に気づく。確かに今、俺は『拘束されている』。
茶を手渡される時に、木製の台は『外されていた』。
中には、『熱いお茶』が『なみなみ注がれている』。
つまり、底が丸くて立てられない湯飲みからは手を離す事が出来ない。
これはいわば、緩やかなる両手の拘束。
それに湯呑みいっぱいに茶は注がれているので持ったまま素早く立ち上がれない。
これは正座の状態のまま、足を縛られているのに似ている。
「私のしたい事を知ってもらえば良いだけだ」
「待て!待て待て氷室!マジで!」
正座の姿勢で両手で湯飲みを持ったまま、背後に静かに座る氷室に何とか振り向く。
無抵抗の状態で、悪意ある(と思しき)相手に真後ろに立たれるのは焦る、っていうか心臓にかなり悪い。
「うわうわうわうわうわうわ!待て待てちょい待て待ってくれー!!!」
「衛宮は古今東西待てと言われて待つ莫迦を見たことがあるか?」
「観念しろ」
ふわ、と柔らかい何かに抱きしめられていた。