愛染彼女5
- 2008/04/26
- 12:08
先程蒔の字にも言ったが、私は行動派な方だ。
しかしながら常識程度には人を見てモノを云う方でもあるし、空気を読み小細工も可能である。
従って、『走高跳スタンドのバー受け金具が壊れたので修理して欲しい』と放課後に衛宮を体育倉庫に呼び出す程度には小知恵は働かせられる。
「…ん。錆びて締まらなくなってた留め具のボルト、あとワッシャとナット全部替えたんで、これで直ったと思う」
ぎしぎしと二、三度バー受けに力をかけてみて、衛宮は用具室の入り口に立つ私に振り向いた。
「む。そうか。…ふむ、それなら大丈夫そうだな。衛宮、感謝する」
「いやいや」
しかし衛宮も単純だ。年頃の娘に密室に二人きりになるよう呼び出されたら何がしか警戒するとしたものだが。
あるいは私であれば有り得ないと思ったか。いや、そのような気の利いたことは衛宮には考えられまい。
「なにがしか礼がしたいが、生憎何も持ち合わせが無い」
「あ、いや別に」
「まあ聞け。幸い私は茶道部にも世話になっている。先日いい茶が入ったので、いずれそちらで茶と茶請けでも馳走しよう」
「…む。そうか、ではそのうち馳走になる」
衛宮の眉が一瞬動いた。寺の息子と茶の話をしているのを見たことがあったが予想通り食いついた。簡単すぎる。
「……あの、えっと…?」
衛宮は手際よく工具類を片付け、用具室の出入り口へと向かってきたところで、戸惑うように私を見ている。
私は用具室の扉を背にして立っているので、当然私がどかなくては衛宮は外に出られない。
「まあ待て」
にやりと笑って衛宮を手で制す。
「くくく、のこのこ一人でこのような密室に来たことを後悔するがいい」
楽しい。
「な…氷室なにいって」
無闇に、楽しい。
「惚れたぞ、衛宮。付き合って欲しい」
「へ…………?」
諺の教科書に引かれそうなくらい、鳩が豆鉄砲を食ったというに相応しい顔をする。御世辞にも男前な表情ではないが、この表情が良いのだ。
「衛宮は耳が悪いのか?私は『衛宮くんが好きなので、付き合って欲しい』と言ったのだ」
『好き』と言う言葉を使うのは少し恥ずかしく、ちょっと言葉が喉の奥で詰まった。
勿論表情には出さないが。
「……………………えええー!!」
「…そうまで嫌がられるとさすがの私も傷つくな」
「あ、あああ、いや嫌いとかそんなんじゃなく、びっくりして、その」
元来衛宮が人を嫌うタイプではないとは知ってて拗ねてみせると、期待通り以上に哀れな位うろたえている。苛めるのもこの辺にしておこう。
「そうか、なら良かった」
にこりと笑って見せる。
「とはいえ衛宮は私の事をよく知るまい。故にいきなり付き合えと言われても如何ともし難いだろう」
「………あ、あー。えっと、まあ」
「なのでこれから私の事を知ってくれれば良い。なに、そうかからず私に惚れさせてみせよう、」
我ながら自信家なものだと思ったが、何故だかこのときはすらりと口を衝いて出た。
ただ、次の一言は余計だった。
「見たところ他に付き合っている女子もいないようだしな」
「――――――――!」
慌てふためいていた衛宮の表情が、一瞬にして凍る。
透明な氷に、成る。
あの朝見た表情に。
瞬時に自身の失言を悟った。
こみ上げてくる自身に対する怒り。
衛宮が触れられたくない何かに触れてしまった、得体の知れない申し訳なさ。
そして、名も知らぬ不愉快な感情。
「その顔だ」
それらを押し殺して、衛宮に告げる。きっと今私は不機嫌な顔をしているのだろう。
「衛宮は、その顔をしては、いけない」
「え………あ、……」
なんらか思い当たる―――――自覚するところがあるのか、苦しげな衛宮の表情。
その貌は、どこからくるのか。察するに、失恋からなのか。
ただ本能的に、やや違う、と感じる。
「衛宮のその表情は魅力的だ。しかし、そんな顔をしてはいけない」
「…………そうかもな。すまん」
先に褒めたことにも気づかず謝る衛宮の視線の先には私が居る。しかしその瞳は私を映さない。見る先は空の果てか、自己の奥深くなのか。
はからずも、この衛宮の態度に私は若干ムキになった。
「だから私が、衛宮がそんな表情をする暇をなくしてやろう」
自然と笑みがこぼれる。怒ると、人は笑うようだ。
「え、なに」
四の五の云う口は封じて黙らせる、というのはむしろ女の専売特許と言えよう。
軽い怒りのままに、衛宮の首をかき抱いて唇を奪った。笑顔で。
奪うときは素早く。
離す時は互いの唇の柔らかさがわかる程度にゆっくりと、唇を離した。
いまだ呆けている衛宮。
「うむ。衛宮はその顔の方がいい。活きている貌だ」
多少名残惜しいが衛宮の首から両腕をするりと離した。
「あ、あー………」
本当に言いたいことはそんなことではないだろうに。呆然としたままお礼を言うのは彼の律儀さか。
「さてこれからは忙しくなるぞ、覚悟しておけ。茶の件はまた後日連絡する」
ではな、と衛宮を残し用具室の扉をぱたりと閉じる。
ああ、確かにこれから忙しくなる。
衛宮をどこに連れて行こうか。どんな時を過ごそうか。いままで感じたことの無い高揚感が私を包む。
惹かれている。
惹かれている、衛宮に。
格好良さげに用具室を出てきたものの、既に戻って衛宮に抱きつきたい衝動に駆られている。斯様に、臍の上の辺りから喉の奥が熱くなる感覚が恋なのか。
それとこの、
―――――――――――どこからとも知れぬ視線は何なのか。
しかしながら常識程度には人を見てモノを云う方でもあるし、空気を読み小細工も可能である。
従って、『走高跳スタンドのバー受け金具が壊れたので修理して欲しい』と放課後に衛宮を体育倉庫に呼び出す程度には小知恵は働かせられる。
「…ん。錆びて締まらなくなってた留め具のボルト、あとワッシャとナット全部替えたんで、これで直ったと思う」
ぎしぎしと二、三度バー受けに力をかけてみて、衛宮は用具室の入り口に立つ私に振り向いた。
「む。そうか。…ふむ、それなら大丈夫そうだな。衛宮、感謝する」
「いやいや」
しかし衛宮も単純だ。年頃の娘に密室に二人きりになるよう呼び出されたら何がしか警戒するとしたものだが。
あるいは私であれば有り得ないと思ったか。いや、そのような気の利いたことは衛宮には考えられまい。
「なにがしか礼がしたいが、生憎何も持ち合わせが無い」
「あ、いや別に」
「まあ聞け。幸い私は茶道部にも世話になっている。先日いい茶が入ったので、いずれそちらで茶と茶請けでも馳走しよう」
「…む。そうか、ではそのうち馳走になる」
衛宮の眉が一瞬動いた。寺の息子と茶の話をしているのを見たことがあったが予想通り食いついた。簡単すぎる。
「……あの、えっと…?」
衛宮は手際よく工具類を片付け、用具室の出入り口へと向かってきたところで、戸惑うように私を見ている。
私は用具室の扉を背にして立っているので、当然私がどかなくては衛宮は外に出られない。
「まあ待て」
にやりと笑って衛宮を手で制す。
「くくく、のこのこ一人でこのような密室に来たことを後悔するがいい」
楽しい。
「な…氷室なにいって」
無闇に、楽しい。
「惚れたぞ、衛宮。付き合って欲しい」
「へ…………?」
諺の教科書に引かれそうなくらい、鳩が豆鉄砲を食ったというに相応しい顔をする。御世辞にも男前な表情ではないが、この表情が良いのだ。
「衛宮は耳が悪いのか?私は『衛宮くんが好きなので、付き合って欲しい』と言ったのだ」
『好き』と言う言葉を使うのは少し恥ずかしく、ちょっと言葉が喉の奥で詰まった。
勿論表情には出さないが。
「……………………えええー!!」
「…そうまで嫌がられるとさすがの私も傷つくな」
「あ、あああ、いや嫌いとかそんなんじゃなく、びっくりして、その」
元来衛宮が人を嫌うタイプではないとは知ってて拗ねてみせると、期待通り以上に哀れな位うろたえている。苛めるのもこの辺にしておこう。
「そうか、なら良かった」
にこりと笑って見せる。
「とはいえ衛宮は私の事をよく知るまい。故にいきなり付き合えと言われても如何ともし難いだろう」
「………あ、あー。えっと、まあ」
「なのでこれから私の事を知ってくれれば良い。なに、そうかからず私に惚れさせてみせよう、」
我ながら自信家なものだと思ったが、何故だかこのときはすらりと口を衝いて出た。
ただ、次の一言は余計だった。
「見たところ他に付き合っている女子もいないようだしな」
「――――――――!」
慌てふためいていた衛宮の表情が、一瞬にして凍る。
透明な氷に、成る。
あの朝見た表情に。
瞬時に自身の失言を悟った。
こみ上げてくる自身に対する怒り。
衛宮が触れられたくない何かに触れてしまった、得体の知れない申し訳なさ。
そして、名も知らぬ不愉快な感情。
「その顔だ」
それらを押し殺して、衛宮に告げる。きっと今私は不機嫌な顔をしているのだろう。
「衛宮は、その顔をしては、いけない」
「え………あ、……」
なんらか思い当たる―――――自覚するところがあるのか、苦しげな衛宮の表情。
その貌は、どこからくるのか。察するに、失恋からなのか。
ただ本能的に、やや違う、と感じる。
「衛宮のその表情は魅力的だ。しかし、そんな顔をしてはいけない」
「…………そうかもな。すまん」
先に褒めたことにも気づかず謝る衛宮の視線の先には私が居る。しかしその瞳は私を映さない。見る先は空の果てか、自己の奥深くなのか。
はからずも、この衛宮の態度に私は若干ムキになった。
「だから私が、衛宮がそんな表情をする暇をなくしてやろう」
自然と笑みがこぼれる。怒ると、人は笑うようだ。
「え、なに」
四の五の云う口は封じて黙らせる、というのはむしろ女の専売特許と言えよう。
軽い怒りのままに、衛宮の首をかき抱いて唇を奪った。笑顔で。
奪うときは素早く。
離す時は互いの唇の柔らかさがわかる程度にゆっくりと、唇を離した。
いまだ呆けている衛宮。
「うむ。衛宮はその顔の方がいい。活きている貌だ」
多少名残惜しいが衛宮の首から両腕をするりと離した。
「あ、あー………」
本当に言いたいことはそんなことではないだろうに。呆然としたままお礼を言うのは彼の律儀さか。
「さてこれからは忙しくなるぞ、覚悟しておけ。茶の件はまた後日連絡する」
ではな、と衛宮を残し用具室の扉をぱたりと閉じる。
ああ、確かにこれから忙しくなる。
衛宮をどこに連れて行こうか。どんな時を過ごそうか。いままで感じたことの無い高揚感が私を包む。
惹かれている。
惹かれている、衛宮に。
格好良さげに用具室を出てきたものの、既に戻って衛宮に抱きつきたい衝動に駆られている。斯様に、臍の上の辺りから喉の奥が熱くなる感覚が恋なのか。
それとこの、
―――――――――――どこからとも知れぬ視線は何なのか。