雨の日の学年主席たち02
- 2008/03/29
- 18:24
「はい。相沢さんも今帰りですか?」
「おう。石橋の奴、ホームルームが長くってな。―――お前、帰んないのか?」
あっという間に靴を履く相沢さんに対して、上履きのまま私は手を止めて突っ立っていた。
来た。
来ました。
流れは今まさに我にあり。芯でとらえた打球は大きなアーチを描き、レフトスタンド目指してぐんぐん伸びる。
「あ――はい、傘を忘れてしまったもので、雨宿りをしています」
相沢さんの左手には一本の長い男性用の傘。
打球は風に乗る。
「おお?珍しいなみっしーにしては。じゃあ――」
スタンドまであとわずか。
「っと、じゃ、この傘貸してやるよ。―――俺、置き傘教室にまだあるから」
おしい。失速、フェンス直撃のツーベース。
「あ…すみません、でも悪いですから」
「いーって、気にすんなよみっしー」
ほら、と手を引かれ強引に傘を握らされた。一瞬、手を握られた感触にぼうっとする間に相沢さんは既に階段を駆け上がり始めていた。
「―――あ、」
この傘で、帰りませんか。
言いそうになって寸前で止まった。だって彼はもうひとつ傘があるというのだ。
わざわざひとつの傘に入る理由はない。そう、
――――恋人でもない限り。
残念ながら私と彼は少なくとも『まだ』そういう間柄ではない。
彼にしてみれば真琴を通して知り合った、からかいやすい後輩だろう。
こちらにしてみれば恐ろしく競争率の高い―――しかもでたらめに強敵ぞろいの、
標的なのだが。
「――え?――――ああ、そうだ天野」
私の声に彼が振り向く。
「北川にちょっと用があるのを忘れてたわ。それ、貸すから今度返してくれな」
「あ、はい。ありがとうございます」
私の挨拶を聞いていたのかいないのか、直ぐに駆け上っていってしまった。
一息ついて借りた傘を手に雨の道を歩き出しながら、今日の「戦果」を思い返す。
(まあ、何もなく濡れて帰ることを思えばかなり上々と言うべきですね)
では想像できるベストの結果と比較してはどうか。
一つの傘に、寄り添って歩く自分と彼を想像してみた。
が、そもそもが家の方向がかなり違うので、私の家まで来てもらう必要がある。
ああ、そうしたら家に上がってもらってお茶でも御馳走しましょう。羊羹はまだあったでしょうかね。
もし酷く雨に濡れていたらお風呂にも入って頂いて、その場合一番の強攻策はとっておきの勝負下着一式装備で後から乱入してしまう事ですが――――
と妄想が広がったところでやめた。これではまるでアイスマニアの同級生と一緒だ。
彼女の場合は妄想への間口が非常に広く、しかも内部の様子をハイビジョンで皆(彼女の想い人含む)にさらけ出している為に姉から教育的指導が頻繁に与えられているので、それよりはだいぶましだと思うが。
そもそも、彼は北川さんと用事があったのだ。つまり最初からその結末はあり得ない。
それよりも、好意でこの傘を貸してもらえたこと、また返しに会いに行けること、なにがしかのお礼の機会が得られたことに満足すべきだ。
お礼であれば、ライバルたちの目を憚る必要も無く強引にこちらから押す事が出来る。その時の作戦を練ろう――――
そう思い、ふと振り向いて遠目に学校を見たとき。
何か違和感を感じた。
(……………………………?)
点いているべき灯りが点いていないことが違和感だったと気づくにはやや時間がかかった。
彼がいるはずの教室に明かりが点いていない。
今日は薄暗く、教室にいるなら必ず照明をつけるはず。それに、彼と昇降口で別れてからまだ10分も経っていない。
「――――あ」
昇降口での彼の言動。
暗い教室。
昇降口まで来てなぜ北川さんの用事を思い出した?
そもそも、置き傘なんて用意の良い事をする人だったか?
ぼやけていたパズルが瞬く間に埋まり、一つの結論を導いていく。
今から戻っても、もう、間に合わない。
直感的にそう思った。
これでも一年の学年主席だが、この機会を知略に長けたあの学年主席の先輩『方』が
逃すはずが無い。
「あははー、御馳走様ですー」
「あら、悪いわね」
―――と、にっこりと微笑まれた気さえする。
「うかつ、でした――――」
昇降口に視線を移して、思わず声に出して立ち尽くした。
「おう。石橋の奴、ホームルームが長くってな。―――お前、帰んないのか?」
あっという間に靴を履く相沢さんに対して、上履きのまま私は手を止めて突っ立っていた。
来た。
来ました。
流れは今まさに我にあり。芯でとらえた打球は大きなアーチを描き、レフトスタンド目指してぐんぐん伸びる。
「あ――はい、傘を忘れてしまったもので、雨宿りをしています」
相沢さんの左手には一本の長い男性用の傘。
打球は風に乗る。
「おお?珍しいなみっしーにしては。じゃあ――」
スタンドまであとわずか。
「っと、じゃ、この傘貸してやるよ。―――俺、置き傘教室にまだあるから」
おしい。失速、フェンス直撃のツーベース。
「あ…すみません、でも悪いですから」
「いーって、気にすんなよみっしー」
ほら、と手を引かれ強引に傘を握らされた。一瞬、手を握られた感触にぼうっとする間に相沢さんは既に階段を駆け上がり始めていた。
「―――あ、」
この傘で、帰りませんか。
言いそうになって寸前で止まった。だって彼はもうひとつ傘があるというのだ。
わざわざひとつの傘に入る理由はない。そう、
――――恋人でもない限り。
残念ながら私と彼は少なくとも『まだ』そういう間柄ではない。
彼にしてみれば真琴を通して知り合った、からかいやすい後輩だろう。
こちらにしてみれば恐ろしく競争率の高い―――しかもでたらめに強敵ぞろいの、
標的なのだが。
「――え?――――ああ、そうだ天野」
私の声に彼が振り向く。
「北川にちょっと用があるのを忘れてたわ。それ、貸すから今度返してくれな」
「あ、はい。ありがとうございます」
私の挨拶を聞いていたのかいないのか、直ぐに駆け上っていってしまった。
一息ついて借りた傘を手に雨の道を歩き出しながら、今日の「戦果」を思い返す。
(まあ、何もなく濡れて帰ることを思えばかなり上々と言うべきですね)
では想像できるベストの結果と比較してはどうか。
一つの傘に、寄り添って歩く自分と彼を想像してみた。
が、そもそもが家の方向がかなり違うので、私の家まで来てもらう必要がある。
ああ、そうしたら家に上がってもらってお茶でも御馳走しましょう。羊羹はまだあったでしょうかね。
もし酷く雨に濡れていたらお風呂にも入って頂いて、その場合一番の強攻策はとっておきの勝負下着一式装備で後から乱入してしまう事ですが――――
と妄想が広がったところでやめた。これではまるでアイスマニアの同級生と一緒だ。
彼女の場合は妄想への間口が非常に広く、しかも内部の様子をハイビジョンで皆(彼女の想い人含む)にさらけ出している為に姉から教育的指導が頻繁に与えられているので、それよりはだいぶましだと思うが。
そもそも、彼は北川さんと用事があったのだ。つまり最初からその結末はあり得ない。
それよりも、好意でこの傘を貸してもらえたこと、また返しに会いに行けること、なにがしかのお礼の機会が得られたことに満足すべきだ。
お礼であれば、ライバルたちの目を憚る必要も無く強引にこちらから押す事が出来る。その時の作戦を練ろう――――
そう思い、ふと振り向いて遠目に学校を見たとき。
何か違和感を感じた。
(……………………………?)
点いているべき灯りが点いていないことが違和感だったと気づくにはやや時間がかかった。
彼がいるはずの教室に明かりが点いていない。
今日は薄暗く、教室にいるなら必ず照明をつけるはず。それに、彼と昇降口で別れてからまだ10分も経っていない。
「――――あ」
昇降口での彼の言動。
暗い教室。
昇降口まで来てなぜ北川さんの用事を思い出した?
そもそも、置き傘なんて用意の良い事をする人だったか?
ぼやけていたパズルが瞬く間に埋まり、一つの結論を導いていく。
今から戻っても、もう、間に合わない。
直感的にそう思った。
これでも一年の学年主席だが、この機会を知略に長けたあの学年主席の先輩『方』が
逃すはずが無い。
「あははー、御馳走様ですー」
「あら、悪いわね」
―――と、にっこりと微笑まれた気さえする。
「うかつ、でした――――」
昇降口に視線を移して、思わず声に出して立ち尽くした。