さて事実は認識し受け入れた。次にするべきはそれがもたらす変化への対策である。
変化は非常に分かり易かった。
衛宮のことが気になってしょうがない。
授業中でさえ彼を見ていたい。しかし、私の席は彼の席よりも前なので振り返りたい衝動を抑えるのに苦痛を伴う。やがて割り切り、後方に彼が「居る」という気配を楽しむ事にした。
次には、彼が何を考えているのか気なり始めた。授業中、一度だけわざと後方へ消しゴムを落とし拾う際に衛宮をちらりと見たが、その透明な表情からは何を考えているのかは読み取れなかった。そのような事さえもどかしい。
斯様に氷室鐘の精神は著しく乱されている事が容易に理解出来、これの解決には彼の人と恋仲に成り常時彼の人を見、かつ見てもらい考えを伝え合う間柄になれば良い。
一目ぼれをした者としては至極妥当な結論だろう。さて、それを果たす為には如何したものか。
「…鐘ちゃん?鐘ちゃん?」
「…ん?なんだ由紀香」
由紀香が呼んでいたらしい。
「あ、ううん、あんまりお箸進んでいないなと思って。具合悪いの?」
「いや、そんなことはない。由紀香の作る弁当は非常に美味だ。私もこれくらい出来るようになりたいものだ」
いつの間にか昼休みになっていたらしい。昼休みはたまにこうして屋上で三人で摂る事があるのだが、これが恋の魔力というものか朝からの経過を碌に覚えていない上に放心していたようだ。
「おっ、なんだなんだ悩み事かぁ?うかうかしてると由紀っちの玉子焼きはアタシがゲットだぜ!?」
「成る程悩み事か、そう言われればそうかも知れないな」
由紀香から既に分けてもらっておきながら更に人の分まで狙う蒔の字にはきっと某小太り音痴餓鬼大将の素質が備わっているのだろう。しかし珍しく良い事を言う、言われてみれば悩んでいると言えなくもない。
「なんだろう?私たちで力になれることだったら言ってね?」
深刻めいた口調でなかったので(と言ってもあまり深刻めいた口調を人前に披露した覚えは余りないが)由紀香も割りと明るく気遣ってくれる。
「ふむ……」
軽く思案する。まあ、この玉子焼き咥えた若かりし頃の藤村先生もどきは若干煩いが話しても差し支えあるまい。
「まあ、由紀香達に特に協力を仰ぐ予定も無いが。私は一目惚れをしたらしい」
「えええーっ!?」
「びょええぇぇぇぇぇぇぇぇーっ!?」
屋上の他の生徒達がこちらを振り向くが、しかし『あ、なんだ蒔寺か』という視線で彼らの談笑へ戻っていく。
「蒔の字、汚いから玉子焼きを咥えたまま叫ぶのはよせ」
屋上の床に蒔の字の口内を経由した由紀香の傑作の残骸が散らばる。
直撃されなくて良かった。されていたら私の中身が空いた弁当箱と中身が空らしい蒔の頭で非常に乾いた音を立てなくてはならないところだった。
「マジで男か!?人間かっ!?生物なのか!有機物なのか!?」
「蒔ちゃん失礼だよ!鐘ちゃん、それってど、どこの人!?」
「校内だが」
蒔の字、段々離れていっているんだが?
「ええー!全然気がつかなかったよ、いつ知り合ったの?どこで?」
「いつもなにも、由紀香や蒔の字と同時だが。どこでかと言えば、教室内だな」
「え…んんん?それはおかしいだろーよ!だって一目惚れなんだろ?」
「ああ、そうだ」
蒔の字が腕組みをして首を捻っている。言われてみれば私の言っている事は論理的におかしい。一目惚れであれば会った瞬間だろうが、今まで何度も会った人物である事になる。
「うーん……?良く分かんないなぁ。その人、私達も知ってる?」
「無論だ」
「あのね、鐘ちゃんが嫌だったら良いけど、もし良かったらその人って誰だか
教えてくれる?」
「ああ、構わん、」
この後どうなるのか、ほんの少しの悪戯気分を抑えて務めて平静な口調でその名を告げた。
「衛宮士郎だ」
黒豹の奇声に、屋上の生徒達が『また蒔寺か、ほっとけ』といった表情でこちらを振り向いた。
蒔の字には全くもって学習して欲しいものだが。