司馬日記17
- 2013/05/19
- 12:33
3月7日
士季に入庁を機に実家に帰らないのかと聞いたところ、
「やですよあんな妖怪色惚け後家ババアの家なんて」とにべもない。
一刀様より、新規入庁者の後宮入りを禁ずる法案のご提案があった、女性入庁試験者に後宮入りが採用と出世の条件と誤解されている節がある為との事だ。
一部の重臣の方々からは強い支持があったそうだが、各国王は思案投げ首となり一旦持ち帰り検討することとなった。
3月11日
一刀様が御風邪を召された、少し熱があり食欲が無いとのことだ。
華陀殿の見立てでは静養して消化の良い物を食していれば快癒するという。
定期的な問診はさせて頂いていたが、兼任不定期とは言え御生活指導係としては失格だ。
一刀様の寝台廻りの御用意をしている間に月様に見舞い客の整理をして頂いたがおもむろにお部屋を出て行かれようとした。どちらへ行かれますかと伺うと、『料理の作り手の方々に、各々少量にして貰えるようお願いをしてきます』とのことだった。確かに最近は各国王はじめ料理の作り手は多い。
ふと気になって厨房へ行ってみたところ、凪もやってきたが凪の料理は今日の一刀様の体調に合わない為遠慮をお願いした。
また何故か関羽殿が外からちらちらと厨房の方を伺っており、それを劉備様にお伝えしたところ困ったように眉根を下げられて関羽殿の方へ行かれた。そこで何事かお話をされると関羽殿は肩を落として帰っていったが何かあったのだろうか。
月様の判断で今日の見舞いは各国の王のみとしてもらい、それが済むと暫く静寂が訪れた。
と思っていたらもう足音だけでわかる招かれざる娘二人――――近親上等☆姉妹が部屋までやって来たので静かにするよう窘め、また面会謝絶である旨を伝えたところ、
「一刀様に私共の愛情たっぷりのこの薬湯をぜひ御飲み頂きたい、一発平癒間違い無しです」
と言って一つの湯飲みを差し出してきた。
あまり胡散臭いものを一刀様に飲ませるわけにはいかないが直ちに快癒されるならと思い、同じく控え室に詰めていた詠様に相談した。
怪訝な顔をされてボク自身で聞いてみるからと関平・劉封の元へ行かれて「あんたたち愛情って言うけどこれ何入ってんのよ」と聞かれたところ、
「主に下半身から溢れ出る愛情ですが、ってああっ!窓から投げ捨てるなんてひどいです!」
「一刀様だって御飲みにと言うかむしろ直にお舐めになった事だってありますのに!」
「そりゃ元気な時の夜の話でしょうがっ!!愛情じゃなくて欲情飲まそうとか何考えてんのよあんた達!」
というやり取りを聞かされて頭を抱えてしまった。呂布殿を呼んでつまみ出してもらう間も
「言いだしっぺの癖にすみませんあの時酔ってましたとか言って実行しない斗詩さんとは違うんですよ私達は、行動できる女なのです!」
「突っ込みにくいとこを四の五の言わずにとっとと出てけ!」
等と詠様と言い合いをしていた。
次世代と言うほど年は離れていないが、下は末恐ろしい人材ばかりのような気がする。
3月24日
件の新規入庁者後宮入り禁止法について緊急会議が開かれ、『就労・向上意欲が著しく殺がれる上、世代間の対立を招く』として一刀様に廃案の御提案をすることとなったという。
各国の子女からの反発が凄まじく、蜀の諸葛家では末の妹御が自殺未遂を図り、呉では凌操殿と娘の凌統殿が斬り合いとなり、恥ずかしながら我が家では妹達から吊るし上げを食った他、方々で混乱が起こったそうだ。
後宮入りした者は昇進に制限をかけるという代案も出されたが、寵姫となった有能な若手の官位の頭打ちにより中央官僚の人材枯渇を招きかねない危惧があるという見方が強い。
むしろ寵姫となる、あるいは一刀様の側近く仕える条件として一定の官位又は勤務成績とする方向で検討するそうだ。
4月1日
庁内でちょっとしたと言うか、あるいは大事件が起こった。
魏の草莽の頃からの重臣の方々が一斉に恐慌をきたしたのだ。
原因は、『今まで皆有難う 天の国に帰ります 一刀』という一筆を残して一刀様が行方不明になった為だ。
程なくして、先日一刀様が話されていた『四月馬鹿』という嘘をついてもよい日という天の国の慣習により一刀様が周泰殿に依頼して呉の屋敷の一室に隠れていただけだったということが判明して一堂皆胸を撫で下ろしたのだが、それまでの魏の庁内は酷かった。
曹操様は人事不省になり寝込まれてしまい、元譲様は涙を流して「一刀ぉぉぉ!」と叫びながら抜刀した七星餓狼を床に叩きつけようとした所で妙才様が当身で気を失わせて『当分二人で寝る、華琳様が起きるまで起こさなくていい』と私室に引き篭もられ、典韋殿は「兄様!兄様!兄様あああああ!」と慟哭をやめず、凪は城門の上でぼんやり下を眺めていたところを危険な状態と見て趙雲殿が保護し、張遼殿は失踪され、普段飄々とされ、個人的には最も強靭な精神をお持ちなのではと思っていた仲徳様は一時的に失語症となってしまっていた。
ここまで大事となるとお考えになっていなかった一刀様は皆に平謝りをされていたが、それまで気丈に振舞っていた文若様が
「つ、吐いていい嘘と、吐いちゃいけない嘘ってものがあ、あるでしょうがぁ!この馬鹿ぁぁぁぁ!!うぇぇぇぇぇん!」
と一刀様を叩きながら泣かれていた。
その後、心的外傷を負われた曹操様はじめ魏の十二人の譜代の寵姫の方々は精神の回復の為三日間一刀様から離れず暮らされた。
失踪されてしまった為事実を知るのが遅れた張遼殿は重症で、呂布殿に連れ帰られてからすっかり気弱になられてしまい、
「なぁ一刀、うち羅馬なんか行かんでもええからずっとそばに居てな?な、居てな?」と繰り返し、回復に更に二日程要した。
また手引きをされた周泰殿もあまりの大騒ぎに顔面蒼白になって泣きながら謝り、孫権様からも謝罪の申し出があったが一刀様含め関係者全員から『全て一刀(様)が悪いので不要』との回答だったという。
この間決裁が完全に止まってしまったのはかなり困った。数日前に「4月1日は誰がどんな嘘をつくのかなぁ」と一刀様が会議でおっしゃっていたにも拘らず、これだけの混乱になってしまう事にあらためて一刀様の存在の大きさを思い知った。
4月6日
今日は特に問診の日ではなかったが、一刀様からのお召しを受けて午後にお部屋へ伺ったところ、小さな包みを渡され開けてみるよう御指示を頂いた。
開いてみた所中身は白金に青い小さな造花をあしらった髪留めであり、開いてしまって良かったのだろうかと思いながらこれをどなたへお持ちすればと伺うと
『仲達さんにお世話してもらい始めて一年経ったのでそのお礼、仲達さんの銀髪に似合うかと思って』
と仰った。
雷に撃たれる思いでそういえばそうだったと思い出し、私のような末席の者の、そんな瑣末な事までお気にかけて頂いているという感動のあまり絶句し涙が止まらなくなってしまい、またしても一刀様を困らせてしまった。
そうこうする間に書類を抱えた詠様が一刀様の御部屋へお見えになって「あ、また仲達泣かしてんの?」と言われ、一刀様が此れ此れ斯様と御説明になった。すると詠様は呆れた様にため息を吐かれ、
「このコマシ、そういうところは恐ろしくまめよねぇ…。で?仲達そのまま帰らせられないんだったら仕事は夜やって?夕飯前には又書類持ってくるから」
と言い捨てて踵を返して出てゆかれてしまった。
その後はまあ、その、そういうことだ。
とっぷり日も暮れて詠様がお部屋の入り口で中華鍋をお玉で叩きながら「はいはい仕事の時間よー」と仰るのを聞いて、慌てて目を覚まして服を着始めるまで一刀様の腕の中ですっかり眠ってしまっていた。
しかしもう初めてというわけでも無いのにその最中自分が何を叫び散らし、どのような振る舞いであったのかさっぱり覚えておらず、ともかく一刀様と密着したまま幸福の彼方へ吹き飛ばされるような―――絶頂とは古人は上手い事を言ったものだと思うが―――記憶だけが残る。
記憶が朧げになってしまう事にはいつも不安になるのだが、常に一刀様は「可愛かった」と仰って下さっている。
だがいつまで経ってもお伽を『する』というよりは御寵愛を、或いは御情けを『賜る』ような状態というのは余り宜しくないのではないか。
今度どなたか経験豊富な方に伺ってみよう。
士季に入庁を機に実家に帰らないのかと聞いたところ、
「やですよあんな妖怪色惚け後家ババアの家なんて」とにべもない。
一刀様より、新規入庁者の後宮入りを禁ずる法案のご提案があった、女性入庁試験者に後宮入りが採用と出世の条件と誤解されている節がある為との事だ。
一部の重臣の方々からは強い支持があったそうだが、各国王は思案投げ首となり一旦持ち帰り検討することとなった。
3月11日
一刀様が御風邪を召された、少し熱があり食欲が無いとのことだ。
華陀殿の見立てでは静養して消化の良い物を食していれば快癒するという。
定期的な問診はさせて頂いていたが、兼任不定期とは言え御生活指導係としては失格だ。
一刀様の寝台廻りの御用意をしている間に月様に見舞い客の整理をして頂いたがおもむろにお部屋を出て行かれようとした。どちらへ行かれますかと伺うと、『料理の作り手の方々に、各々少量にして貰えるようお願いをしてきます』とのことだった。確かに最近は各国王はじめ料理の作り手は多い。
ふと気になって厨房へ行ってみたところ、凪もやってきたが凪の料理は今日の一刀様の体調に合わない為遠慮をお願いした。
また何故か関羽殿が外からちらちらと厨房の方を伺っており、それを劉備様にお伝えしたところ困ったように眉根を下げられて関羽殿の方へ行かれた。そこで何事かお話をされると関羽殿は肩を落として帰っていったが何かあったのだろうか。
月様の判断で今日の見舞いは各国の王のみとしてもらい、それが済むと暫く静寂が訪れた。
と思っていたらもう足音だけでわかる招かれざる娘二人――――近親上等☆姉妹が部屋までやって来たので静かにするよう窘め、また面会謝絶である旨を伝えたところ、
「一刀様に私共の愛情たっぷりのこの薬湯をぜひ御飲み頂きたい、一発平癒間違い無しです」
と言って一つの湯飲みを差し出してきた。
あまり胡散臭いものを一刀様に飲ませるわけにはいかないが直ちに快癒されるならと思い、同じく控え室に詰めていた詠様に相談した。
怪訝な顔をされてボク自身で聞いてみるからと関平・劉封の元へ行かれて「あんたたち愛情って言うけどこれ何入ってんのよ」と聞かれたところ、
「主に下半身から溢れ出る愛情ですが、ってああっ!窓から投げ捨てるなんてひどいです!」
「一刀様だって御飲みにと言うかむしろ直にお舐めになった事だってありますのに!」
「そりゃ元気な時の夜の話でしょうがっ!!愛情じゃなくて欲情飲まそうとか何考えてんのよあんた達!」
というやり取りを聞かされて頭を抱えてしまった。呂布殿を呼んでつまみ出してもらう間も
「言いだしっぺの癖にすみませんあの時酔ってましたとか言って実行しない斗詩さんとは違うんですよ私達は、行動できる女なのです!」
「突っ込みにくいとこを四の五の言わずにとっとと出てけ!」
等と詠様と言い合いをしていた。
次世代と言うほど年は離れていないが、下は末恐ろしい人材ばかりのような気がする。
3月24日
件の新規入庁者後宮入り禁止法について緊急会議が開かれ、『就労・向上意欲が著しく殺がれる上、世代間の対立を招く』として一刀様に廃案の御提案をすることとなったという。
各国の子女からの反発が凄まじく、蜀の諸葛家では末の妹御が自殺未遂を図り、呉では凌操殿と娘の凌統殿が斬り合いとなり、恥ずかしながら我が家では妹達から吊るし上げを食った他、方々で混乱が起こったそうだ。
後宮入りした者は昇進に制限をかけるという代案も出されたが、寵姫となった有能な若手の官位の頭打ちにより中央官僚の人材枯渇を招きかねない危惧があるという見方が強い。
むしろ寵姫となる、あるいは一刀様の側近く仕える条件として一定の官位又は勤務成績とする方向で検討するそうだ。
4月1日
庁内でちょっとしたと言うか、あるいは大事件が起こった。
魏の草莽の頃からの重臣の方々が一斉に恐慌をきたしたのだ。
原因は、『今まで皆有難う 天の国に帰ります 一刀』という一筆を残して一刀様が行方不明になった為だ。
程なくして、先日一刀様が話されていた『四月馬鹿』という嘘をついてもよい日という天の国の慣習により一刀様が周泰殿に依頼して呉の屋敷の一室に隠れていただけだったということが判明して一堂皆胸を撫で下ろしたのだが、それまでの魏の庁内は酷かった。
曹操様は人事不省になり寝込まれてしまい、元譲様は涙を流して「一刀ぉぉぉ!」と叫びながら抜刀した七星餓狼を床に叩きつけようとした所で妙才様が当身で気を失わせて『当分二人で寝る、華琳様が起きるまで起こさなくていい』と私室に引き篭もられ、典韋殿は「兄様!兄様!兄様あああああ!」と慟哭をやめず、凪は城門の上でぼんやり下を眺めていたところを危険な状態と見て趙雲殿が保護し、張遼殿は失踪され、普段飄々とされ、個人的には最も強靭な精神をお持ちなのではと思っていた仲徳様は一時的に失語症となってしまっていた。
ここまで大事となるとお考えになっていなかった一刀様は皆に平謝りをされていたが、それまで気丈に振舞っていた文若様が
「つ、吐いていい嘘と、吐いちゃいけない嘘ってものがあ、あるでしょうがぁ!この馬鹿ぁぁぁぁ!!うぇぇぇぇぇん!」
と一刀様を叩きながら泣かれていた。
その後、心的外傷を負われた曹操様はじめ魏の十二人の譜代の寵姫の方々は精神の回復の為三日間一刀様から離れず暮らされた。
失踪されてしまった為事実を知るのが遅れた張遼殿は重症で、呂布殿に連れ帰られてからすっかり気弱になられてしまい、
「なぁ一刀、うち羅馬なんか行かんでもええからずっとそばに居てな?な、居てな?」と繰り返し、回復に更に二日程要した。
また手引きをされた周泰殿もあまりの大騒ぎに顔面蒼白になって泣きながら謝り、孫権様からも謝罪の申し出があったが一刀様含め関係者全員から『全て一刀(様)が悪いので不要』との回答だったという。
この間決裁が完全に止まってしまったのはかなり困った。数日前に「4月1日は誰がどんな嘘をつくのかなぁ」と一刀様が会議でおっしゃっていたにも拘らず、これだけの混乱になってしまう事にあらためて一刀様の存在の大きさを思い知った。
4月6日
今日は特に問診の日ではなかったが、一刀様からのお召しを受けて午後にお部屋へ伺ったところ、小さな包みを渡され開けてみるよう御指示を頂いた。
開いてみた所中身は白金に青い小さな造花をあしらった髪留めであり、開いてしまって良かったのだろうかと思いながらこれをどなたへお持ちすればと伺うと
『仲達さんにお世話してもらい始めて一年経ったのでそのお礼、仲達さんの銀髪に似合うかと思って』
と仰った。
雷に撃たれる思いでそういえばそうだったと思い出し、私のような末席の者の、そんな瑣末な事までお気にかけて頂いているという感動のあまり絶句し涙が止まらなくなってしまい、またしても一刀様を困らせてしまった。
そうこうする間に書類を抱えた詠様が一刀様の御部屋へお見えになって「あ、また仲達泣かしてんの?」と言われ、一刀様が此れ此れ斯様と御説明になった。すると詠様は呆れた様にため息を吐かれ、
「このコマシ、そういうところは恐ろしくまめよねぇ…。で?仲達そのまま帰らせられないんだったら仕事は夜やって?夕飯前には又書類持ってくるから」
と言い捨てて踵を返して出てゆかれてしまった。
その後はまあ、その、そういうことだ。
とっぷり日も暮れて詠様がお部屋の入り口で中華鍋をお玉で叩きながら「はいはい仕事の時間よー」と仰るのを聞いて、慌てて目を覚まして服を着始めるまで一刀様の腕の中ですっかり眠ってしまっていた。
しかしもう初めてというわけでも無いのにその最中自分が何を叫び散らし、どのような振る舞いであったのかさっぱり覚えておらず、ともかく一刀様と密着したまま幸福の彼方へ吹き飛ばされるような―――絶頂とは古人は上手い事を言ったものだと思うが―――記憶だけが残る。
記憶が朧げになってしまう事にはいつも不安になるのだが、常に一刀様は「可愛かった」と仰って下さっている。
だがいつまで経ってもお伽を『する』というよりは御寵愛を、或いは御情けを『賜る』ような状態というのは余り宜しくないのではないか。
今度どなたか経験豊富な方に伺ってみよう。