結構早めに出てきたのに、それよりも早く誰かが来ていることに気がついたのは道場の玄関の鍵が空回りしたからだった。
下駄箱には大きめの男の靴。
「・・・・・・・・・・・・ぁ」
もう自発的にここに来る事は無い。修繕依頼でもない限り。だから確率はすごく低い、そんな事は分かっているのに直感があいつだ、と叫んだ。
荷物もおかずに射場へ向かう。
引き戸を開けると。
今まさに射を終えたばかりらしき赤毛の長身が弓を片手に、こちらを振り返った。
「あ・・・」
ようやく昇った陽に照らされた男の目が、少し赤く見える気がする。
「・・・衛宮じゃん」
こんなにいきなり核心突いていいんだろうかと頭の隅で思ったけれど、感覚的にいいんだ訊けと言う方が勝った。
「どうしたんだよ。弓、やめたんじゃなかったの」
「あ、ああ。うん。そうだったんだけど」
衛宮が素早く目を掻い――――拭った、ように見えた。
「そ、それよかまだ、美綴だけ?」
「うん?そうだけど」
答えると、衛宮はいきなりそわそわと挙動不審になった。
「そか。・・・・・・えーえっと。また、弓始めようかと思って。ってか入れて貰えればなんだけど。部に」
「・・・・・・どうして、また」
更に挙動不審が激しくなり操り人形のように弓を所在なげにいじると、とんでもない事を言い放った。
「・・・・・・・・・美綴がいるから、じゃ、だめか?」
目が覚めた。というか、頭から血が引いた。それとも昇ったのか。
「・・・・・・・・・・・・は、」
開いた口が塞がらず、心臓から咽喉までを絞められるような感覚。
そして、漸く意味を理解した。
「・・・・・・・・・、へっ」
なのに、言葉が出てこない。
嬉しさよりも驚きの方が強すぎた。そのせいか、弱気心が勝手に口を突いて出る。
「・・・なにを、また。誤解するだろ」
衛宮はかわいそうな位、嘘がばれた子供のように、突然舞台の真ん中に放り出されて芸を見せろと言われた素人のようにうろたえながらも、あたしの聞き違いでなければこう言った。
「う、あ、あー。えっと、そういうことなんだけど。それ、誤解でなく」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
今度こそ脳が沸騰した。
まともに衛宮の顔が見れない。顔を伏せ、手を後ろに組んで壁に寄りかかる。
ああ、でも。そうだ。
一つだけ、知りたいことがある。それを思い出した。
もっと今大事な場面のような気がするけど、それから逃げるようにこの事に触れた。
「じゃさ、衛宮、テスト」
「へ?テスト?」
「うん。1射、見せてよ。入部テスト。でも正鵠じゃなきゃだめとかじゃない」
「・・・・・・・・・はずれでも良くて、とにかく射ろってことか?」
「そう」
わかった、と返事をして衛宮が八節に入ろうとする。
その間に、混乱した頭を落ち着かせる。
衛宮は、確かにそう言った。そういう意味で。幾らなんでもこれであたしの勘違いなら衛宮を殴っていいレベル。
それにあたしは返事をしなくてはならない。その答えなんて、とっくに決まっているんだけど。
なんて言えばいい。
なんて言えばいい。
その間にも衛宮は八節の始め―――足踏みを始めた。、それを見て、あたしの混乱は鎮痛剤を服用したように急速に落ち着いていく。
―――――ああ。やっぱり。
『また始めたい』なんて言い出した事から多分そうかな、と思った――――感じた事が、確信に変わっていく。
打ち起こして、引き分ける。
目の前が滲み始めて、見えなくなる前に早く残心まで終わって欲しいと願うあたしの気持ちに反して、スローモーションのように。
離れ。
そして、残心。
一瞬の風切り音のあとに残った衛宮の残心に、確信する。
(―――――あの時の、衛宮じゃない)
もうあの透明な、何も無い。
どこでもない、天の果てしか見ていないような衛宮ではなく。
(『普通の』、衛宮だ―――)
喉の奥にせり上がる痛みと視界をぼやかす何かに堪え切れず頭を下げたまま、きっとこちらを見ている衛宮に合格、と言った声は自分で聞いても涙声。
「美綴!?」
顔を伏せているので見えないけれど、足音で衛宮が近づいてきてるのが分かる。
来るな。
見るな。
――――でももし来るなら、あたしの顔が見えないくらい。
こうやって、衛宮の胸にあたしの額が当たるくらいなら。
それくらい近いなら、来てもいい。
「返事、聞けるかな」
「・・・したじゃん。合格って。良かったよ。全然良くなったよ」
額を押し当て、前襟を掴んで顔を見せないまま答える。
「・・・それもなんかズルい気が」
「じゃあ言ってやるから。頭下げてよ」
衛宮の首を下げさせて。
でも、やっぱり目は合わせられないので耳元で。
肩越しに、正鵠に突き刺さった矢が朝日の中で光ってるのを見ながら。
あたしは、衛宮に囁いた。
好きだよ、と。
END