正鵠の果て1
- 2009/07/17
- 22:50
(・・・武道場の天井も意外と高いんだな)
「美綴さん?」
そんなことを考えていると、女のひとがあたしを呼んでいるのが聞こえた。
「美綴さーん?」
返事をしようにも息が上がってて、とても答える余裕がない。
「みっちゃーん?大丈夫ー?」
とりあえず少なくともこの学校では呼ばれた事のない呼び方で、真上から呼んでくるのは通称虎な自分のクラスの英語教師だ。
「・・・大丈夫、です・・・」
武道場に一人、大の字に寝っころがりながら天井を見上げてようやくそれだけを返す。
「・・・じゃ休憩にしよっか。飲みもんもってくるわね」
面を抱えながら、ぺたぺたと短髪タイガーはあたしの視界から消えていった。
漸く息を整えて、起き上がる。
――――――正直、打ちのめされた。
衛宮自身が『自分がどういう顔をした』というのを自覚してなさそうなのが救いで、クラスで会っても最低限の挨拶とかは何とか出来た。
部活とやりなれない勉強にかこつけて三日ほど過ごして、許容量上限のストレスを溜め込んだところで発散先を探してみたら、弓道部と同じく定休日の武道場と校内だっつーのにお菓子片手に暇そうな剣道の鬼っていうか虎が見つかった。
元々運動全般、武道全般嫌いじゃないので剣道もやった事はある。
なんつーか、面があって顔を余り見られないところとかサシでやれるとか面打ったら気分良さそうとか今のあたしには非常にちょうど良さそうに見えたのでいっちょ挑んでみる気になったわけだ。
そして、当たり前のごとく一本もかすりもせずにこうやって伸びてるわけなんだけども。
のろのろと起き上がり、胴も外して藤村先生の隣に座って名の知れたスポーツドリンクの御相伴に預かる。
「・・・ぷはー・・・」
一杯分を一気飲みして息をつく。そこでようやく、何か言うべきだったことを思い出した。
「ども。有難う御座いました」
「いえいえ。美綴さんは剣道も筋良いのねー。こっちもやってみたら?」
「いやー・・・」
息一つ乱さずにあれだけこてんぱにやっといてそれですか。たとえ藤村先生の言うとおりだとしてももういいや、という気しかしない。
「士郎もなにかやればいいのにな」
「あ?」
なんか、今あんまり聞きたくない単語が出た気がする。
「いや、士郎がね。弓道部に戻るのは無理でも、剣道とかなんかやればいいのにって思ってさ」
「あー・・・」
保護者的には気になるんだろうが、今のあたしにはうんともいやとも言いにくい。
「ね、美綴さん、士郎ってもう弓道部にはもどんないのかなぁー?」
「あー、ないと思います」
思わず苦笑いが出る。
何も知らないし悪意も無いのも衛宮が可愛いのも分かるがこの先生の空気の読めなさっていうかタイミングの悪さってのもどうにかなんないか。
「あら随分あっさり言い切っちゃうのねー、前は結構誘ってくれてたのに。最近士郎はなんだか随分雰囲気変わっちゃってちょっと心配なのよね」
「・・・そうなんですか」
ひそかに舌を巻いた。
分かるのか、この先生には衛宮の違いが。衛宮の普段の茫洋とした感じは変わらないと思っていたけど、そのアンテナの鋭さにちょっと興味が引かれた。
「変わって、良くなったんですか」
「どうかなぁ」
婉曲否定。
「・・・大人になってきたってことじゃないですか」
あの夜にあたしの感じた印象を、ちょっとずらして言ってみた。
「そういうのとはちょっと違う、っていうのかなー。なんか変にマジメになっちゃったような、なんか良くない感じなのよねぇ」
あたしとは表現が違うが、なんとなくいい線ついてるような気がする。
ただ今はこの手の会話は私にはちょっと煩わしく、流れを切ろうとして却って余計な事を聞いた。
「でも変わっちゃっても、衛宮が気になるんですか」
「そうね、教え子だしお姉ちゃん代わりだし」
言いながら藤村先生は立ち上がり、らしいようならしくないような笑顔で付け加えた。
「士郎は士郎だからね」
職員会議と士郎に修繕依頼しなきゃだからあと鍵よろしく、と藤村先生が先に出て行ってからもう一度、あたしは道場の床で寝ころぶと胴が乾いた音を立てて転がった。
日は高く眩しいのに、あたりは静かだ。
自分の血流の音まで聞こえる気がする。
「衛宮は衛宮、か」
胸のうちで一度呟き、前髪を軽くかき上げる。
道場に差す日差しに右手をかざすと、指の隙間から光が漏れて小さな天使の梯子を作る。それを少し眺めてから、掌を、ぐっ、と握る。
「―――――よし」
ウジウジしそうな気持ちを声を出す事で無理矢理気味に吹っ切る。
反動をつけて不必要に勢いよく跳ね起きて、あたしはシャワー室へと駆け出した。
「美綴さん?」
そんなことを考えていると、女のひとがあたしを呼んでいるのが聞こえた。
「美綴さーん?」
返事をしようにも息が上がってて、とても答える余裕がない。
「みっちゃーん?大丈夫ー?」
とりあえず少なくともこの学校では呼ばれた事のない呼び方で、真上から呼んでくるのは通称虎な自分のクラスの英語教師だ。
「・・・大丈夫、です・・・」
武道場に一人、大の字に寝っころがりながら天井を見上げてようやくそれだけを返す。
「・・・じゃ休憩にしよっか。飲みもんもってくるわね」
面を抱えながら、ぺたぺたと短髪タイガーはあたしの視界から消えていった。
漸く息を整えて、起き上がる。
――――――正直、打ちのめされた。
衛宮自身が『自分がどういう顔をした』というのを自覚してなさそうなのが救いで、クラスで会っても最低限の挨拶とかは何とか出来た。
部活とやりなれない勉強にかこつけて三日ほど過ごして、許容量上限のストレスを溜め込んだところで発散先を探してみたら、弓道部と同じく定休日の武道場と校内だっつーのにお菓子片手に暇そうな剣道の鬼っていうか虎が見つかった。
元々運動全般、武道全般嫌いじゃないので剣道もやった事はある。
なんつーか、面があって顔を余り見られないところとかサシでやれるとか面打ったら気分良さそうとか今のあたしには非常にちょうど良さそうに見えたのでいっちょ挑んでみる気になったわけだ。
そして、当たり前のごとく一本もかすりもせずにこうやって伸びてるわけなんだけども。
のろのろと起き上がり、胴も外して藤村先生の隣に座って名の知れたスポーツドリンクの御相伴に預かる。
「・・・ぷはー・・・」
一杯分を一気飲みして息をつく。そこでようやく、何か言うべきだったことを思い出した。
「ども。有難う御座いました」
「いえいえ。美綴さんは剣道も筋良いのねー。こっちもやってみたら?」
「いやー・・・」
息一つ乱さずにあれだけこてんぱにやっといてそれですか。たとえ藤村先生の言うとおりだとしてももういいや、という気しかしない。
「士郎もなにかやればいいのにな」
「あ?」
なんか、今あんまり聞きたくない単語が出た気がする。
「いや、士郎がね。弓道部に戻るのは無理でも、剣道とかなんかやればいいのにって思ってさ」
「あー・・・」
保護者的には気になるんだろうが、今のあたしにはうんともいやとも言いにくい。
「ね、美綴さん、士郎ってもう弓道部にはもどんないのかなぁー?」
「あー、ないと思います」
思わず苦笑いが出る。
何も知らないし悪意も無いのも衛宮が可愛いのも分かるがこの先生の空気の読めなさっていうかタイミングの悪さってのもどうにかなんないか。
「あら随分あっさり言い切っちゃうのねー、前は結構誘ってくれてたのに。最近士郎はなんだか随分雰囲気変わっちゃってちょっと心配なのよね」
「・・・そうなんですか」
ひそかに舌を巻いた。
分かるのか、この先生には衛宮の違いが。衛宮の普段の茫洋とした感じは変わらないと思っていたけど、そのアンテナの鋭さにちょっと興味が引かれた。
「変わって、良くなったんですか」
「どうかなぁ」
婉曲否定。
「・・・大人になってきたってことじゃないですか」
あの夜にあたしの感じた印象を、ちょっとずらして言ってみた。
「そういうのとはちょっと違う、っていうのかなー。なんか変にマジメになっちゃったような、なんか良くない感じなのよねぇ」
あたしとは表現が違うが、なんとなくいい線ついてるような気がする。
ただ今はこの手の会話は私にはちょっと煩わしく、流れを切ろうとして却って余計な事を聞いた。
「でも変わっちゃっても、衛宮が気になるんですか」
「そうね、教え子だしお姉ちゃん代わりだし」
言いながら藤村先生は立ち上がり、らしいようならしくないような笑顔で付け加えた。
「士郎は士郎だからね」
職員会議と士郎に修繕依頼しなきゃだからあと鍵よろしく、と藤村先生が先に出て行ってからもう一度、あたしは道場の床で寝ころぶと胴が乾いた音を立てて転がった。
日は高く眩しいのに、あたりは静かだ。
自分の血流の音まで聞こえる気がする。
「衛宮は衛宮、か」
胸のうちで一度呟き、前髪を軽くかき上げる。
道場に差す日差しに右手をかざすと、指の隙間から光が漏れて小さな天使の梯子を作る。それを少し眺めてから、掌を、ぐっ、と握る。
「―――――よし」
ウジウジしそうな気持ちを声を出す事で無理矢理気味に吹っ切る。
反動をつけて不必要に勢いよく跳ね起きて、あたしはシャワー室へと駆け出した。