「どう?終わりそう?」
「いや、もうちょっと」
古新聞の上に撤去済みらしき折れた棚が転がり、それの中心で衛宮が棚の骨組みに紙やすりをかけている。
「フレームの方も腐食してて、このままじゃ固定出来ない」
「・・・直るの?」
「直る」
よく分からないが、直るらしいからまあいいだろう。
じゃあよろしく、と声を掛けて倉庫を離れる。
今日は部員も少なめで、普段よりもちょっと早めに終わりの指示を出してもおかしくない雰囲気だった。
既に入り口以外の戸締り済み。清掃済み。あたし以外の部員も、最後の一人が今お疲れさーっすと言って出て行った。
後は部長で今日の戸締り当番のあたしが帰るだけ。衛宮を除いては。
――――用具の手入れでもするか。もう着替えちゃったけど。
と。歩き出したところでふと腕を鼻に当ててみる。
す、と軽く息を吸う。
・・・・・・別に平気だと思うけど。
いや、自分のって自分には分からないし。
けど今日はそんな動いてないし気にし過ぎじゃない?
・・・だがしかしもしそれだったらマジでドン引きよだよねつーか分からないしわからねえならいっそ分かりやすく!
若干乙女らしからぬ音を立てて、再び倉庫へ急ぐ。
「あ、衛宮、もうちっと大丈夫?あたしちょっと片付けしてるから!終わってもここで待っててよ」
「ん?ああ」
返事を聞くや否や素早く更衣室へ駆け戻り、ロッカーを開けて予備のブツを取り出してシャワー室へと飛び込む。
蛇口を捻り、初めは中々温度が上がらないのを払ってから、ちょっと熱めにして頭から浴びる。私は夏場以外は熱めの方が好きだ。
・・・が。
「・・・・・・」
ちょっとしたことに思い当たり湯温をぬるめ、今はいいけど上がったらちょっと寒い位に調節する。特に意味は無い。
視線を落として、自分の鎖骨の先からシャワーが流れていくのを眺める。
いや、これも特に意味は無いんだけど。
多分、あたしは割りとフツーな方のはずで。
特に褒められることも笑われるほどの何かも、あるいは特殊な趣味の方々の興味をそそるようなものは何も持ち合わせてないはずだ。
特に衛宮的にはまさにどうでもいい事だろう。ついでに衛宮も関係ない。
短めの髪はおしなべて便利だ。
シャワーを浴び終わって粗く拭いただけでそこそこ程度には乾いてくれる。
洗面所の鏡を見ると、やや大人しめのあたしが居る。
「・・・・・・・・・」
特におかしくはない。が、特に変わりもしない。
もし長い髪なら、こういうとき違う印象を見せられるのかもしれない。
下らない事を考えている暇は無い。早く着替えよう。
「悪い、待たせた」
軽く拭いただけでそこそこ乾いたように見える短めの髪に少し感謝した。
「ん、俺も今出たとこだから」
学校にしてはそこそこ広めの倉庫で壁に凭れ、寛いでいた。
あたしも風呂(というか今はシャワーだけど)は早い方だが流石に衛宮の方が先だったようだ。
「今日は悪いね。帰り奢るよ」
「いや、いいって」
ここまで予想通り。
「いや、お茶一杯程度だから奢らしてよ。それにさ」
少し、顔を真面目にしてみる。
「今日ちょっと、通ってみようと思って」
判りやすく、衛宮の表情が引き締まる。
”どこへ”とも言っていないのに即座に察する、衛宮はどれだけ日頃から他人の事を――――――あたしの事を考えて、いるのか。
「関係者らしい、衛宮につき合ってもらおうと」
「………………うん」
今の逡巡は、あたしを行かせていいのかの判断の躊躇いだと思いたい。
衛宮の隣に、静かに腰を下ろす。
「ので。ちょっと」
独り言のように、だんだん声が小さくなっていく。
「勇気を分けて頂けたらなぁ、と」
僅かに肩が触れ合う。風呂上りの肌寒さが、ほんの少しあたしに物理的距離を縮めさせた。
「…………………」
沈黙。
膝を抱えたまま俯く。
これ以上は無理。
これ以上はあたしには言えない。
もうしばらくこの長い沈黙が続いたら。
何もかもやめてやっぱり帰ろう。そもそもあたしとか衛宮にはそもそも無理でした。
そう思った矢先。
衛宮と反対側のあたしの肩に、温かくて大きな手が添えられた。
軽く肩を抱かれただけなのに、震え上がるほどの感触。
膝を抱いていた腕に力が入っていなかったら、海老の様に跳ね上がったかもしれない。
右肩に、熱い程のてのひら。
ほんの少し、肩を握るようにその指が閉じられる。
それはきっと、本当にほんの僅かに加えられた力だったのかもしれないけれど、
あたしの体は簡単に衛宮の方へころん、と転がった。
衛宮の右手は、躊躇うように弱く、それでもそのままあたしを抱き寄せる。
あたしはしなだれる様に、衛宮の胸に手を添える。
無言。
身長差で、衛宮の表情は判らない。
自分の息の音が異常に大きく聞こえる気がする。
だんだん、おかしくなってる、気がする。
自分の首を支えてる力を抜いて、ゆっくりと衛宮の胸に頭を預ける。
なんか、おかしい。歯止めが利いてない。けど、止まらない。
嘘をつくのも何ともなく思うほど。そう、例えば。
「やっぱ、ちょっとこわいから」
も、ちょっとつよく、と小さな声で呟くと今度こそあたしはその胸の中に抱き寄せられた。