雨の日の学年主席たち08
- 2008/03/29
- 18:37
手を抜かれた、と正直思った。
自分なりにほぼ「必然」の状況を用意したとは思うけど、それごときでそうそう打ち破れる―――相沢くんを譲り渡す―――ような人ではない、倉田先輩は。
きっと、彼女の中で『今は敢えて引こう』という意志に基づいていたはずだ。
あるいは気まぐれか、それとも余裕か。
でも、今は。与えられたこのチャンスを生かす事に専念しよう。天才の考える事など読みきれなくてもいいではないか、結果が得られれば。
なるべく自然に、彼の濡れていない方―――左肩に寄り添おうとして、一瞬迷った。
彼に気を使わせないように、何も知らない振りをして左肩に寄り添えば。
きっと彼は気づかれてない―――と思って、私の方に傘を寄せてくれる、と思った。
―――彼女にしたのと、同じように。
そこでふと気づいてやめた。
きっと、いや、間違いなく。あの左肩には「彼女」の薫りが―――マーキング、
されているに違いない。
勿論彼女の、何かうっすらとコロンでもつけているのか或いはフェロモンなのか―――薫りは良い匂いなのだが、意中の男とこれから寄り添って歩くのにはあまりにも、残り物を下げ渡されたような、プライドを著しく傷つけられるものになるに違いない。
そんな中でいい雰囲気になどなっていられるものか。
瞬時に判断し、彼の右肩―――濡れたシャツにためらい無く自分の肩を押し付けた。
「………こんな日に、傘忘れたのね」
軽くジャブを打ってみる。
「………………あー。朝の内、降ってなかったからな」
名雪ももってるかどうか怪しいな、と言って彼は軽く笑った。
割とポーカーフェイスが上手い。名雪も日頃は分かりやすいくせに、ここ一番ではとんでもなく上手い。ましてや秋子さんの表情から読み取れなどと言うのは既に神業の領域だ。
「…ふふ、らしいわね。………ああ、むしろらしくなかった、というべきかしらね?」
「……?どういう意味だ?」
傘を持ってきていたなんて相沢くんらしくないし、天野さん―――貴女にしては、なんだけど。
ここはやはりあたしの決め台詞で。
「言葉通りよ」
うわその笑いは、と言う表情を彼が浮かべる。どうもこの台詞を言っている時は私は、
名雪いわく『イタズラする時の祐一みたいに』微笑っているそうだ。自分ではもう少し大人の笑みだと思っていたので少しショックを受け、なるべくしないよう気をつけてはいたのだが。
それに、不本意な事に。彼にとって―――いや、栞にも言われるのだが、私が魅力的に―――所謂『可愛く』見えるのは、照れたり恥ずかしがっている時、泣きそうな時―――らしい。
それが萌えなんですっ、と今一つピンと来ない理論をコブシを振り上げて力説していた妹に、じゃあいつも照れ恥ずかしがって泣いていろってことなのと問うて見たら、
『それはそれで萌えないんですっ!お姉ちゃんは何も分かっちゃいませんね』
はっ、と鼻で笑われた。しかも相沢くんもうんうんとうなづいていたような気がするし。
じゃあどうすりゃいいのよ、と自棄になりたい気もするが結局自分の出来るようにしか出来ないだろう。とりあえず今私が出来るのは彼との一次的接触を活用することだ。
ところでなんだか彼がしきりに体を引こうとしてる気がするのだけれど。
「あ、あの香里?」
「何よ」
体を寄せていって引かれりゃあそれは機嫌も斜めになろうと言うものだ。
「そっち、俺の肩濡れてるからあんまり寄ると香里にも付いちゃうぞ」
ああそんなこと。それは先刻御承知だ。
「構わないわよ。それに離れると雨に濡れちゃうでしょ。それにこないだ、栞の病院の付き添いに来てくれたわよね、そのお礼よ」
言いながら、彼の右腕を自分の左腕に絡めた。栞の恩をこんな形で姉が返したなんて栞本人に知れたらおそらく烈火のごとく怒るだろうが、ここは利用させてもらおう。
そもそも栞にはここ数ヶ月債権だらけだ。ちょっと位返してもらってもバチは当たるまい。
一応それなりには自信のある―――さすがにあの反則上級生二人組には敵わないが―――を肘めがけて押し付けると、相沢くんは一瞬びくりと反応した。
動揺は誘えたらしい。
「あ、ああ香里?」
「ん?何かしら?」
ここで顔を見上げるのも露骨だ。うわずっても、平静でもない声で返した。
「いやその傘、随分俺の方に寄せてもらってるようだけど、香里も濡れちゃうだろ?
だからもう少し――」
そっちの方へ、と言ったような気もするがそんなものは無視だ。
「ああ、そうね。もっと寄らないとあたしも濡れちゃうわ」
「―――な!」
と、べったり抱きつくに限る。肘を胸に強く押し付けたら、あたしまで感じて一瞬ビクリとしてしまったが、顔には出なかっただろうか。
に、しても。今日は『そういう』―――一気に全てを決めるような、日ではないのだなと漠然と感じている。
左半身は熱い様な、溶けるような、彼の温もりを感じて酔いそうなほど心地よいが心のどこかに『食べ残し』をもらっただけじゃないの、と醒めた自分が居る。
表現は悪いが、今日は『他の女の匂い』が付き過ぎた日だ。一気に決める日は、彼の心がまっさらで、あたしだけを視ている日。そんな日にしたい。
あれだけ美少女(約一名美女を含む)に囲まれていて彼にそんな日が本当にあるのか疑問はあるが、そんな日を決戦日にしたい、と思うのは栞の事を笑えないほど少女趣味な願いだろうか。
あまり盛り上がる話もせずに、私の家に着いてしまった。
「あたしの家、着いちゃったわね」
「ああ」
この半身の暖かさを、ただで離すのはやはり惜しくて。あたしは神の如き―――本当に神の如き倉田先輩の予言に従う事にした。
「この傘、貸しておくわ。また今度返して頂戴」
「あー、悪りいな」
彼も元からそのつもりだったのだろう。次の私の台詞以外は。
「でも、有償よ」
ぅえ、と彼が表情を顰める。きっとイチゴサンデーやら牛丼やらが頭をよぎっているのだろう。
そんなものを私が欲しがると思っているのだろうか。
「ああ、心配しなくていいわ。今すぐ払ってもらうから」
私が欲しいものはもっと桁違いに高価なものに決まってる。
左手で、彼の頭を軽く抱え込むようにして。
ちゅ、と頬に口づけた。
「じゃ、倉田先輩によろしくね」
「………お、おう」
まだ彼は呆然としている。
足早に玄関に駆け込みながら、あ、きっとこれでもまだ彼女―――
倉田先輩のリード分には追いつけてないんだろうなぁ、となんとなく確信した。
でも。
最後に笑うのは、あたし。玄関ドアの内側で、もう一度強く想った。
END
自分なりにほぼ「必然」の状況を用意したとは思うけど、それごときでそうそう打ち破れる―――相沢くんを譲り渡す―――ような人ではない、倉田先輩は。
きっと、彼女の中で『今は敢えて引こう』という意志に基づいていたはずだ。
あるいは気まぐれか、それとも余裕か。
でも、今は。与えられたこのチャンスを生かす事に専念しよう。天才の考える事など読みきれなくてもいいではないか、結果が得られれば。
なるべく自然に、彼の濡れていない方―――左肩に寄り添おうとして、一瞬迷った。
彼に気を使わせないように、何も知らない振りをして左肩に寄り添えば。
きっと彼は気づかれてない―――と思って、私の方に傘を寄せてくれる、と思った。
―――彼女にしたのと、同じように。
そこでふと気づいてやめた。
きっと、いや、間違いなく。あの左肩には「彼女」の薫りが―――マーキング、
されているに違いない。
勿論彼女の、何かうっすらとコロンでもつけているのか或いはフェロモンなのか―――薫りは良い匂いなのだが、意中の男とこれから寄り添って歩くのにはあまりにも、残り物を下げ渡されたような、プライドを著しく傷つけられるものになるに違いない。
そんな中でいい雰囲気になどなっていられるものか。
瞬時に判断し、彼の右肩―――濡れたシャツにためらい無く自分の肩を押し付けた。
「………こんな日に、傘忘れたのね」
軽くジャブを打ってみる。
「………………あー。朝の内、降ってなかったからな」
名雪ももってるかどうか怪しいな、と言って彼は軽く笑った。
割とポーカーフェイスが上手い。名雪も日頃は分かりやすいくせに、ここ一番ではとんでもなく上手い。ましてや秋子さんの表情から読み取れなどと言うのは既に神業の領域だ。
「…ふふ、らしいわね。………ああ、むしろらしくなかった、というべきかしらね?」
「……?どういう意味だ?」
傘を持ってきていたなんて相沢くんらしくないし、天野さん―――貴女にしては、なんだけど。
ここはやはりあたしの決め台詞で。
「言葉通りよ」
うわその笑いは、と言う表情を彼が浮かべる。どうもこの台詞を言っている時は私は、
名雪いわく『イタズラする時の祐一みたいに』微笑っているそうだ。自分ではもう少し大人の笑みだと思っていたので少しショックを受け、なるべくしないよう気をつけてはいたのだが。
それに、不本意な事に。彼にとって―――いや、栞にも言われるのだが、私が魅力的に―――所謂『可愛く』見えるのは、照れたり恥ずかしがっている時、泣きそうな時―――らしい。
それが萌えなんですっ、と今一つピンと来ない理論をコブシを振り上げて力説していた妹に、じゃあいつも照れ恥ずかしがって泣いていろってことなのと問うて見たら、
『それはそれで萌えないんですっ!お姉ちゃんは何も分かっちゃいませんね』
はっ、と鼻で笑われた。しかも相沢くんもうんうんとうなづいていたような気がするし。
じゃあどうすりゃいいのよ、と自棄になりたい気もするが結局自分の出来るようにしか出来ないだろう。とりあえず今私が出来るのは彼との一次的接触を活用することだ。
ところでなんだか彼がしきりに体を引こうとしてる気がするのだけれど。
「あ、あの香里?」
「何よ」
体を寄せていって引かれりゃあそれは機嫌も斜めになろうと言うものだ。
「そっち、俺の肩濡れてるからあんまり寄ると香里にも付いちゃうぞ」
ああそんなこと。それは先刻御承知だ。
「構わないわよ。それに離れると雨に濡れちゃうでしょ。それにこないだ、栞の病院の付き添いに来てくれたわよね、そのお礼よ」
言いながら、彼の右腕を自分の左腕に絡めた。栞の恩をこんな形で姉が返したなんて栞本人に知れたらおそらく烈火のごとく怒るだろうが、ここは利用させてもらおう。
そもそも栞にはここ数ヶ月債権だらけだ。ちょっと位返してもらってもバチは当たるまい。
一応それなりには自信のある―――さすがにあの反則上級生二人組には敵わないが―――を肘めがけて押し付けると、相沢くんは一瞬びくりと反応した。
動揺は誘えたらしい。
「あ、ああ香里?」
「ん?何かしら?」
ここで顔を見上げるのも露骨だ。うわずっても、平静でもない声で返した。
「いやその傘、随分俺の方に寄せてもらってるようだけど、香里も濡れちゃうだろ?
だからもう少し――」
そっちの方へ、と言ったような気もするがそんなものは無視だ。
「ああ、そうね。もっと寄らないとあたしも濡れちゃうわ」
「―――な!」
と、べったり抱きつくに限る。肘を胸に強く押し付けたら、あたしまで感じて一瞬ビクリとしてしまったが、顔には出なかっただろうか。
に、しても。今日は『そういう』―――一気に全てを決めるような、日ではないのだなと漠然と感じている。
左半身は熱い様な、溶けるような、彼の温もりを感じて酔いそうなほど心地よいが心のどこかに『食べ残し』をもらっただけじゃないの、と醒めた自分が居る。
表現は悪いが、今日は『他の女の匂い』が付き過ぎた日だ。一気に決める日は、彼の心がまっさらで、あたしだけを視ている日。そんな日にしたい。
あれだけ美少女(約一名美女を含む)に囲まれていて彼にそんな日が本当にあるのか疑問はあるが、そんな日を決戦日にしたい、と思うのは栞の事を笑えないほど少女趣味な願いだろうか。
あまり盛り上がる話もせずに、私の家に着いてしまった。
「あたしの家、着いちゃったわね」
「ああ」
この半身の暖かさを、ただで離すのはやはり惜しくて。あたしは神の如き―――本当に神の如き倉田先輩の予言に従う事にした。
「この傘、貸しておくわ。また今度返して頂戴」
「あー、悪りいな」
彼も元からそのつもりだったのだろう。次の私の台詞以外は。
「でも、有償よ」
ぅえ、と彼が表情を顰める。きっとイチゴサンデーやら牛丼やらが頭をよぎっているのだろう。
そんなものを私が欲しがると思っているのだろうか。
「ああ、心配しなくていいわ。今すぐ払ってもらうから」
私が欲しいものはもっと桁違いに高価なものに決まってる。
左手で、彼の頭を軽く抱え込むようにして。
ちゅ、と頬に口づけた。
「じゃ、倉田先輩によろしくね」
「………お、おう」
まだ彼は呆然としている。
足早に玄関に駆け込みながら、あ、きっとこれでもまだ彼女―――
倉田先輩のリード分には追いつけてないんだろうなぁ、となんとなく確信した。
でも。
最後に笑うのは、あたし。玄関ドアの内側で、もう一度強く想った。
END